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2008年 02月 10日
妹島和世がシアトルにやってきた
UWのヘンリーアートギャラリーで小規模ながらSANAA特別展をやっています。
しかも、これがNYのニューミュージアムに先駆けて、アメリカで初めてのSANAA展。

それにあわせて、今日は妹島さんが忙しい中UWでレクチャー。一人15ドル。
もともとは西沢立衛さんが来る予定だったのですが、パリで用事ができたので、
ピンチヒッターで妹島さん登場。
今朝ヨーロッパからシアトルに到着して夕方レクチャーして、明日またスイスの現場に
行くそうです。
海外の仕事のほうが多いと聞きますが、本当に飛び回っていらっしゃるようですね。

レクチャーの内容は近作の紹介がメイン。
予想外と言っては大変失礼なのですが、
全てご自身でパワーポイントをさわりながら英語で説明されていた。
うまく言いたいことが言えなくてもどかしそうな場面もありましたが、
アメリカ人にもきっと伝わったと思います。
発音も文法もそんなの完璧である必要はないんです。
一生懸命伝えようという気持ちがあれば。
すばらしい講演でした。

まずはNYのニューミュージアムに始まって、梅林の家ツォルフェライン・スクール
トレド美術館ガラスパビリオン鬼石多目的ホール海の駅なおしま
フラワー・ハウス豊田市生涯学習センタールーブル・ランス
EPFLラーニングセンター、などなど。

近作を通して、それらがどういうふうに進化していったのかがよくわかりました。
例えば、四角や円の幾何学平面だったものが、
トレドや鬼石で曲線になってゆき、
豊田でそれが垂直に積まれ、
最後はEPFLラーニングセンターで、床が垂直に動き出し波打つ。

同様の発展では、箱を水平に散らした金沢21世紀美術館のあと、
ニューミュージアムで箱を垂直に積んでいることにも見えます。
(となると、EPFLラーニングセンターが垂直に詰まれて高層化したようなものも
 お目見えするのかどうなのか。外に出たり内に入ったりしながら上昇していく、それはそれで魅力的かもしれない)

EPFLラーニングセンターはほんとうにえらいことになっています。
すごく新しい建築あるいは場所が生まれるのがひしひしと感じられます。
既に建設は始まっていて、1年で完成する予定だそうです。
これを見ていて思い出したのが96年に学会賞をとったマルチメディア工房
これも盛り上がったランドスケープと弓なりに下がった屋根が接していたな、と。
そのアイデアが熟成されて花開いたのかなと考えたりしました。

ほかの発見は、
設備についての扱い方。
あまり言われないけど実は結構ちゃんと考えられてる。

例えばトレドではガラスとガラスの間の細い空気層が断熱の役割をしていたり(ときにはショーケースにもなる)、
ツォルフェラインスクールのコンクリートの壁の中には地下から引き上げた
温水の熱を伝えるチューブが張り巡らされていたり(安藤さんもやってるの?)、
ニューミュージアムの詰まれた箱の一番上の箱は実は機械室だったり。
設備とデザインの関係がシンプルかつ合理的に解かれている。

実は妹島さんは、独立最初の仕事で、
天井輻射冷房をしようとした逸話がある(内藤廣対談集p.192)。
結局それは構造との関係で実現できなかったらしいけれど、
もともと設備にも興味はあったのではないかと思う。

また、SANAAの建築が変化し続けながらも
未だにずっと変化していない部分があることに気づいた。
抽象性というようなコンセプトはもちろんなのですが、それとは別に。
平面が四角でも円でも曲線でも、あるいは床と天井が波打ちだしても、
変わっていない部分、それは

いつも垂直な透明のガラス。

それがSANAAらしさを保ち続けているようにも見える。
(例外はオペーク・ナゴヤ小さな家、かな)

ザハ・ハディドは、自身の作風について、
斜めの壁もできるんだから、なんでやらないの?
という発言をしていましたが、SANAAはそこはまだ動かさない。

なんでだろうかと少し考えましたが、そもそもSANAAの建築は、
機能的にどうしても必要なとき以外(例えば住宅とか美術館とか)、

壁は、ない。

透明な視線の抜けがあるだけ。

透明だから、わざわざガラスを斜めにする必要もないし、
斜めで得られるかもしれない反射の効果も、曲面ガラスで獲得できる。
それに、垂直なほうが、斜めに比べて表面積が少なくて済むからコスト的にもプラス。

また、透明を感じさせるからマテリアルは感じない。
マテリアルを見せるためのマテリアルではなくて、
独特の抽象化された空気や景色の見え方や空間の広がりを実現するためのマテリアルだったりする。
だからむしろマテリアルは消えるべきものになっている。
あるいは曲面ガラスのように視覚映像を歪めるためのものであったり。

ミースの建築を正統にやり続けて最も進化させているのがSANAAだと言われる(確か藤森照信さんだっけ?)。
ミースを近代建築と完全にイコールでつなげることはできないけれど、
近代建築が効率的なシステムによって誰でも考えないで使えるようなユニバーサルなものを普及させたのに対し、
ミースを進化させたSANAAの建築は透明感を持ちながらも複雑化し、使う側の人が空間を
発見する、出会う、考える建築を作り出している。
そして、美を感じさせる建築から、それに加えて、楽しさも感じさせるものへと変化している。
その場に身を置いたらなんだか楽しそうだな、と感じる。

現在、建築のスタイルはいろいろあるけれど、
使用者が自由に空間を発見し、出会い、考える建築、使って楽しさを感じる建築というのは
ほかの建築家にも共通して感じられるし、21世紀の新しい流れなのかなとも思う。

またそのほうが、自分だけの使い方や場所が発見できて、
その建築への愛着も湧くのかな、という気もする。

(初期の妹島作品はこちらが詳しい)

by ogawa_audl | 2008-02-10 19:15


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