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2005年 07月 01日
Jun 28 in San Diego
朝食兼ネットのためにいつものようにスタバへ。
アメリカでは日本のようにはコンビニはないですが、スターバックスは今やどこの都市にいっても見つけることができます。

今日はSan Diegoから少し北へ行ったところにあるLa Jolla (ラホーヤ)に向かう。車を借りようかと思ったけれど、どうやらバスで行けるらしいので、バスで行くことに。運転しないと車窓から景色を眺めたりあれこれ考えたりできるのでいい。しかも路線図を見ると、海沿いを走るようで楽しみ。
La JollaまではSan Diegoのダウンタウンからバスで約45分。

San Diegoはメキシコに近いため、空の色も空気も植生もからっとしています。暑いかと思っていたけど、そうでもない。むしろ涼しい。日差しは強いが、しばしば吹く風は、まるでエアコンからの風に当たっているかのように心地いい。歩いていても汗をかかない。だから動きやすい。
なんだかここにずっといたらあほになってしまいそうな空気がある。楽園的な。でもそうなってもいいからこのままここに居座ってしまおうかなあ、そんな風にも思えてくる。ここでは理想郷を求める必要がない。すでにここがひとつの理想郷だから。そんな土地に見える。

バスから外の景色を眺めているとその色の強さに驚く。空が水色とか空色とかではなく、まさしく“青い”。そして湿気がなく空気が澄んでいるため、目に入ってくるものの輪郭や細部がやたらとはっきりと見えてくる。主張の強い景色。あるいはメリハリの効いた景色。

メキシコの色やラテン気質が生まれるのもこの土地に立ってみるとわかる気がする。人間の側もそれくらいはっきりと主張しないと景色の中で存在が消えてしまいそうに思える。派手な色もにぎやかな人間性もこの土地では全く違和感がなく、逆にそれくらいが周辺の大地と調和するのではないかと思えてくる。

ソークの中庭に空を使うことを助言したのがバラガンだったが、メキシコの空を知っているバラガンだからこそ、その助言が出来たのだと納得できる。バラガンはその空の扱い方を知っていたのだろう。外から来た人間にはすぐにはちょっと浮かばないだろうなあ。

La Jollaは言わばリゾート地のような場所で、お金持ちが住んでいるところでもあるらしい。
La Jollaの中心地を抜け、University of California San Diegoの近くに着く。
目的地のSalk Institute For Biological Studiesはこの近くにある。でもいきなりは行かずにUC San Diegoを歩く。緑も多いが、緑と言うよりも空気あるいは空が気持ちのいいキャンパス。果たしてここで勉強ができるのか、そんな風に思えてしまう。すぐに外に出たくなってしまうのではないかなあ。夏休みに学校に行くようなもんだ。きれいな海と空がすぐそこにある。涼しい風が吹き、ユーカリのような木々の葉をさらさらと鳴らしている。
歩いていて空気も色もあんまりにも気持ちがいいので、なんだかわからないけど顔がにやけてくる。蒸し暑いシカゴからの反動もあるのかもしれないなあ。

西海岸に来て、ようやく「アメリカ建築案内」(淵上正幸著)が登場。それに従って、大学内のUCSD GEISEL LIBRARY (William Pereira)を見に行く。ダイナミックに持ち上げられた形態。菊竹さんの作品に似た印象を受ける。

大学の周辺には様々な研究施設があり、ソークもそのうちのひとつ。ソークに行く前に、これも建築案内に従って、NEUROSCIENCES INSTITUTE (Tod Williams & Billie Tsien)へ。施設の性格上、内部は見ることが出来ないけれど、外部空間に面白さがあるように思う。流行の斜めの線による構成でうまくシークエンスの変化を作り出している。乾いた印象の広場には水が使われていたり、空を切り取ったりして、素材も含めて、ソーク研究所からの引用も感じられる。そういった影響を与えることは、ソークが既にこの土地の一部となっているとも言えるかもしれない。この建築、思っていたよりもよかったなあ。メインの建築はどうかなあ、という印象だけれど、外部空間がいい。

そしていよいよメイン。今日のメインでもあり、この旅のメインのひとつでもあるSALK INSTITUTE FOR BIOLOGICAL STUDIES (Louis I. Kahn) へ。

まず見えてくるのは、近年別の建築家によって建てられた増築部分。これはカーンじゃないな、とすぐわかる。同様の素材を使っているように見えるが、大ざっぱに見えてしまう。密度の差だろうか。ガラスの色も緑っぽくてちょっと違う。

その奥にようやく待ちに待った本体が。一歩あの中庭に入って目にした光景に圧倒されてしまった。メリハリの効いた美しさ。メリハリの効いた光。強い日差しに白く反射するフラットな中庭の中心を、空を映したひと筋の水がさらさらとわずかな音を出しながら青い海へと流れていく。そしてそれを強めるかのように両側から立ち上がる研究棟が影を作りながら静かに佇んでいる。空の青さが建築との対比を余計に強めている。建築と空とのコントラストをこれほどに感じたのは初めてだ。敷地を読み込むというのがあるが、ここでは空の青さや日差しの強さがその重要なもののひとつであるように思う。
シンプルな要素とシンプルな色使いは、明るい色には明るい色で対抗するこの土地の風土とはまた違ったアプローチをしている。でも違和感を感じさせることなく、独自の空気を作り出している。
これは‘建築’というよりも‘場所’という言葉のほうが的確ではないかなあ。空、海という自然との緊張感を作り出している場所。こんなことできる人はそうはいない。やはりカーンはとんでもない人だったんだと改めて実感。
機能的な要素を極限まで切り詰めるカーンだが、今回は空や水という自然の要素まで極限まで切り詰め、それにより美しさと力強さ、そして静寂を創り出していると感じる。
訪れる前に写真で見ていたときには、全てをそぎ落として固い印象があったが、実際にそこに立ってみると、この土地の自然が持つ強い主張に対するには、これくらいがちょうどいいのだと理解できた。同じものをもっと日差しの穏やかな土地でやってもうまくいかないだろう。本来、建築とはその土地とのつながりを持った固有のものであると、改めて教えられる。インターナショナルスタイルの建築で、この空気を作り出せるだろうか。

中庭の入り口でサリーを着たおばちゃんにペンを貸してほしいと声をかけられた。何をするのかな?と見ていたら、床に刻まれたソーク氏の言葉を書きとめている。
その気持ちよくわかる。とても勇気を与えてくれる言葉だと思う。Sue先生の年賀状でも頂いた言葉。

Hope lies in dreams, in imagination
and in the courage of those who
dare to make dreams into reality.

Jonas Salk

この中庭だけでも、相当な密度を持ったものであるけれど、海を眺めるフレームを作り出している両サイドの研究棟も相当な密度をもっている。どの角度から見てもかっこいいし飽きない。この密度とはいったい何だろうか。

外に見えている主な素材はコンクリート、ガラス、木という非常に種類の少ないもの。それが細かく切られたり、繰り返されたり、変化をつけられたりして多様な表情を見せる。細かく切られた要素が光を受けることによって、多様性を生み出しているように思う。強い日差しはその光の反射を容易にして、さらに多様な光の質を作り出している。

例えば、研究室に面したサンクンガーデンへと降りる外部階段には下から光が入ってくる。普段は上が明るい階段室が、なぜか下から光が差し込んでいる。これはなぜかと不思議に思ったのですが、下まで降りるとその理由が判明。階段室の周辺だけ、白いトラバーチンで覆われていた。それが強い光を反射していたわけです。でもサンクンガーデンの多くは、赤茶色のレンガ風のタイルで覆われている。それにより緊張感ではなく、研究者が息抜きの出来る場所を作り出している。

中庭に面するピロティ部分を歩くと、そこから見える風景がさまざまに変化して見えることに気づく。これは単純に平行な壁柱を立てるだけでなく、場所によって45°に振れのある壁柱となっていることが、大きな要因だろうと感じた。この場所で見られる斜めの‘線’は、全て45°のみに限定されている。水平垂直と45°だけで構成されている。ここでも要素を極限まで切り詰めながらも、多様性を作り出しているカーンの巧みさを感じるなあ。

また、単なる反復(つまりシステム)だけでなく、時々それを裏切るように変化を与えてくる。これがある種の多様性というか密度を作り出している要因のひとつのように感じる。

中庭を海の方へ近づくと、だんだんと丘に生える草木が目に入ってきて、この場所と海との間にかなりの距離があることに気づく。また、水の流れの先にはエメラルドグリーンのプールがあり、その先には滝のように水が落ちる場所と食事を楽しむテラスが見えてくる。ここは緊張感とは別の、やわらかい日常的な場所になっているように思う。

少し歩いて海の側から見てみる。遠くから見ると、まったく主張していない。ただ控えめに建っている。この辺もカーンの建築の真髄かもしれない。遠くから見ると派手でおもしろそうな形態をしているが、近くに寄ると薄っぺらに映ってしまう種類の建築とは対極にあるように思う。

フィラデルフィアのペンシルベニア大学で見たリチャーズ研究所よりももっと要素をシンプルに突き詰めながら、同時に研究所としての機能的な部分には余裕を持たせている。そして機能を満たしながら、研究所とは思えないような場所を生み出している。これほどの気分転換が出来る外部空間をもった研究所は、そうはないだろう。そして何か新しいものを生み出すひとにとって、そういった思考を解きほぐす時間がどれだけ大切かということが伝わってくる。

実際にここを使っている方たちを見ていたら、明るい中庭を横切って、涼しい影となった二つの研究棟の間を移動している。お昼には海を臨むテラスでゆったりと食事をしている。

フォートワースのキンベル美術館では、内部空間というものを教えられた。訪れたひとを包み込むような優しい光だった。
ソーク研究所では、大地と一体となった場所というものを教えられた。そして身を引き締めてくれるようなメリハリのある光がある。
アメリカに建築を見に行く学生には、是非この2つは見てほしいと思う。

単調さを避けるためにライトは装飾を使った。カーンは単調さを避けるためにある種の‘ずれ’を用いているように思う。カーンなりの装飾かなあ。最近流行のデザインは単調さを避けるために、形態そのものを大きく変化させて見せているようにも映る。

でも装飾は装飾であって建築の本質ではないと思う。(でもその装飾的な要素が建築の密度を高めているとも言えますが。)

僕がカーンの建築に魅せられるのは、その本質を正直にずばっと見せてくれるからではないかと思います。

機能を満たしながら、心を豊かにしたり感動を与える美しい‘場所’を作り出すこと。カーンから与えられた宿題かなあと思う。

カーンの建築を訪ねると、その日は密度の濃い一日だったように感じる。
またいっぱい教えられた。

by ogawa_audl | 2005-07-01 12:46


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