<   2009年 05月 ( 10 )   > この月の画像一覧

2009年 05月 22日
Lundgaard & Tranberg
水曜の仕事の後に、Lundgaard & Tranbergの女性建築家Lene Tranbergさんのレクチャーへ。UWにて。
b0021501_15542376.jpg

以前から何度も言っていますが、デンマークの現代建築家に惹かれてます。
Lundgaard & Tranbergは、パッケージデザインがうまいなぁという印象。

今回のレクチャーで知ったこと。

デンマークでは、法律によって、

「全ての公共建築はコンペをしないといけない」

という決まりがあるそうです。知らなかった。

そうかー、だから面白いプロジェクトがガンガン建っているのか、と納得。
コンペをすることによって、急進的なアイデアも実現しやすくなる。
というのも、一等になったということは、その時点で施主も、その案を気に入っているわけですから。
その後、施主との間でデザインやアイデアで揉めるということは減るのかもしれませんね。うらやましい。
施主の側にも、公になった一等案を大きく変更できないような、社会からの圧力もありそうですね。

彼女の事務所もコンペをたくさんやっているそうで。
だいたい、4人くらいの小さなチームで一つのコンペに取り組んで、
ときどき事務所内でレビューをして、全体でも意見交換やデザインをしていく、とのこと。

事務所は30人くらいで、なるべく人の出入りが少ないようにしているんだとか。
なるべく辞めずに同じメンバーで仕事をすれば、それによって家族的な感じにもなるし、
お互いの手の内や好みや得意なことがわかって仕事もしやすいのだそうで。

あと気に入った言葉は、
建築のデザインをすることが(仕事なのだけど)生活の一部になっている、ということ。
肩の力を抜いている感じが伝わってきて、単純にいいなあ、と思いました。

デザインにもそういう雰囲気が出ている気がしました。
こうやったら心地いいでしょ、というようないい意味で単純な言葉がカタチになっているし、
それがきちんと伝わって、使い手の一般のひとたちも、気持ちよくそこに馴染んでいる。

使う側って難しい言葉とか厳密なシステムとか奇抜さとかで場所や空間を理解するんではなくて、
もっと感性の部分で心地よさを得ているんだよね、とあらためて思いました。

(コペンハーゲンに行ってみたいな。。)
[PR]

by ogawa_audl | 2009-05-22 15:49
2009年 05月 18日
イメージの問題
「家」

あるいは

「お店」

と言われて、頭にイメージしたときに、

外観をイメージする人と、室内をイメージする人と、
どっちがどれくらいの割合でいるんでしょうね。

建築の種類にもよるんでしょうけど。



入っていく対象なのか、

すでに室内にいる場所なのか。



僕は建築を考えるとき、未だに入っていく対象、つまり屋外空間や庭から始まるんですよね。
室内空間のイメージをするときはやや強制的に意識しています。

逆のひともいるんだろなと思います。
室内から始まって、屋外は出て行く場所、みたいな。

性格とかライフスタイルが見えそうですね。

または、室内をイメージする場合は、
親密度が高い建築と言えるのかもしれませんね。

例えば、

「駅」

と言われてイメージする場合は、外観と内部空間と両方分かれそうな気がします。

外観しか浮かばないような種類の建築もあると思う。
「ビル」とか。機能がイメージできないから、かな。
機能を表す「オフィス」となると室内がイメージされるので。

「市庁舎」だと外観が浮かぶのはやっぱ距離があるからか。
「映画館」だと室内が浮かぶような。
「劇場」だとどっちも浮かぶような。
「レストラン」とか「カフェ」だとどうだろうか。

単に呼び名の問題なのかと思えてきた。
機能が見える名前だと室内が浮かびやすいという結論かな。
あとは内部の経験があるかないか。
外観が浮かびやすいものは、親しみが薄いとも言えますね、たぶん。

この辺を逆手にとった、デザインとか、ネーミングとか出来そうな気もする。
[PR]

by ogawa_audl | 2009-05-18 14:20
2009年 05月 18日
輪郭で認識してるってことでOK?
少し前の記事になりますが、まずは下の文をぱっと読んでみてください。

こんちには みさなん おんげき ですか? わしたは げんき です。
この ぶんょしう は いりぎす の ケブンッリジ だがいく の けゅきんう の けっか
にんんげ は もじ を にしんき する とき その さしいょ と さいご の もさじえ あいてっれば
じばんゅん は めくちちゃゃ でも ちんゃと よめる という けゅきんう に もづいとて
わざと もじの じんばゅん を いかれえて あまりす。
どでうす? ちんゃと よゃちめう でしょ?
ちんゃと よためら はのんう よしろく

(元ネタはこちら。さらにその元の英語版
読めてしまうんですよね。
以前学生のときに、空間とか立体の認識でも、表面とか輪郭で感じ取っているというような本を読んだことがあったんですが(あの本なんだっけ、思い出せない)、
どうやら文字でもそうなんですね。初めと終わりの文字、つまり単語の輪郭で内容がだいたいわかってしまう。
[PR]

by ogawa_audl | 2009-05-18 13:52
2009年 05月 18日
開発途上の町
天気いいです。空が青い。太陽がまぶしい。でも空気は爽やか。緑がきれい。つまり最高。
毎年思うのですが、春から夏の晴れた日のシアトルは、空気の透明度が高い。
いい季節になってきました。外も夜9時くらいまで明るい。外で飲むビールがうまい。

金曜に仕事で取り組んでいる市庁舎のプロポーザルのための敷地と町の様子を見に行ってきました。
シアトルから北へ車で30分くらいの小さな町です。
いずれシアトルから続く電車も開通して大きくなっていくであろうと予想されている”これから”の町。
今は町の中心となる明確な核がないので、市庁舎がその核となる、はず。将来的な駅の敷地とも近接。
だから単なる一つの建築というだけでなく、町のための中心点を作るようなプロジェクトです。
既に町のひとたちが話し合って、将来像も描いている。歩行者に優しい町。好感が持てます。

僕自身も現在、建築や都市の分野で一番作りたいとイメージしているのは、
いつ何度歩いても楽しくて発見があるループ上の街の中の散歩道。
つまり歩行者空間でありそれを創り出す建築群やランドスケープ。
一周したらなんだか満たされるような都市空間。

こういうプロジェクトを建築・都市・コミュニティといろいろなレベルで考えるのはとても楽しい。
まだ見ぬ町の未来を想像しながら夢を膨らませて、物語をつくって、それをカタチにする。
シアトルは比較的若い街なので、こういった種類の”これから”のプロジェクトが周辺でまだまだ起こると思う。

例えば、今年の夏に本格的な運用が始まるライトレールの沿線でも、いろいろな変化がありそう。
ちなみに、ライトレールの車両は日本の会社だったような。近畿車両だったか。

ある敷地でプロジェクトが起こるとき、その敷地が持つ様々な特色や可能性を隅々まで拾う。
それはたぶん最初は川が近いとか、高台にあるとか、フラットであるとか、眺めがいいとか、自然条件だったんだと思う。
けれど、人の手が加わったら、また違った要因が入ってくるのがまた面白い。
ライトレールなんていうのは、もともとの自然条件とは関係なく、空からずどんと降ってくるようなものだけど、
敷地の特色を一気に変えてしまう力を持っていたりする。

建築をランドスケープの一部のように考えてしまうと、
あるいはどちらも境目がないようなものとしてイメージすると、
建築のプロジェクトも、そこにもともとある土地の編集作業のように思えてくる。
リノベーションでさえ、既存の建築をランドスケープのように捉えてしまえば、土地の編集作業。
室内空間にいながら、そこをランドスケープと感じてしまうには、
常に身体が野生の感覚を維持していないといけないんだろうけど。

体調が数ヶ月ぶりにすこぶるよくなったせいか、
相対的な身体感覚とエネルギーの急増によって、
一瞬だけ感覚が野生化しているのかもしれない。
[PR]

by ogawa_audl | 2009-05-18 13:17
2009年 05月 17日
海外で働いているひとの体験談
少し前に話題にした渡辺千賀さんのブログに、
海外で働いている人の体験談が集まってきている。
そのうち本とかテレビ番組とかになるんではないでしょうか。
無名の一般人の書き込みが集まって本とかになるのはこれまでもありますし。2ちゃんの電車男とかで。
これまでは取材する側がいて、インタビューなど時間をかけて情報を集めていたものが、
各自の少しのボランティアで一晩で情報が集まったりするところがネットというインフラの面白いところ。
(もちろん、実際の取材と比べてある割合の’嘘’が含まれる可能性があることも事実ですが)

へー、いろんなひとがいるなぁ、いろんな生き方があるなぁ、勇気あるなぁ、その国はそうなんか、
と読んでいてなかなか興味深いです。
プロの書き手やテレビの企画などよりもよっぽど有益な情報であったり、
すぐれた文章や考えに出会えるのも面白いところ。

個人の好みで海外へ出ていく、という日本人は昔からある割合でいたと思うのですが、
最近では、日本の将来を考えて、新たなオプションとして海外で働く、というインセンティブも出てきているのが特徴かなと。

こんな記事
もあったりするので、そりゃ若い人は不安になったりしますよね。
あるいは楽観的になるか、自己犠牲の精神でガンバルか、初めからフィクションとして無視を決め込むか。
[PR]

by ogawa_audl | 2009-05-17 05:49
2009年 05月 17日
久しぶりにUWに行ってきました
2晩続けてのレクチャーを聴きにUWへ。
講演者は、東京から来られた田島則行氏と、北京から来られたUW出身のMary Anne Ray氏。

第一夜は、どちらも都市レベルの話。
リサーチや提案などをグラフィックや写真を交えて。
田島氏は東京を舞台に。
Mary Anneは北京のCaochangdiという違法居住者が集まっていたところがアートの中心になった
エリアを中心に。

東京の川の話で、現在の水源がある意味で、人間ひとりひとりである、という指摘がなるほどなと。
生活に使う水道水・飲み水 → 人間 → 下水 → 浄化 → 川へ
ということで。
資源が都市にミクロに分散しているという点で、「都市鉱山」の話にも似ているなと思いました。

Caochangdiの話で面白かったのは、中国人のコピー精神の話。
このエリアには、’鳥の巣’でH&deMとも協働し中国でオピニオンリーダーの一人にもなっている
芸術家のAi Weiwei氏がアトリエを持っているのですが、
彼が作ったレンガ造りのシンプルな建築が、その周辺でどんどんコピーされていっている。
オリジナルのコピー、そのコピーのコピー、それの更なるコピー、と繰り返されているうちに、
ディテールなどがちょっとずついい加減になっていっているらしいので、オリジナルとの違いはわかるらしい。
これを聴いていて面白いなと思ったのは、中国人は「いいものであるらしい」と一度価値を認められたものを
どんどん気軽にコピーしていってしまうというところ。
それによって、計画的ではないのに、統一された町並みが出来ていくのではないかと思いました。
日本やアメリカだと、お隣さんとまったく同じデザインなんて、嫌だから、別のものにしたい、という気持ちが働く気がします。
つまり、個人の好みとか個性というものを前面に出していく。
町並みに統一感を出そうと思ったら、行政が景観デザイン上のルールなどを強制させる必要がある。
この違いはなぜに?と考えるのが面白いかもしれないし、先進国での景観の作り方でのヒントも得られるかもしれない。

第二夜は建築作品の話。
両氏に共通して感じたのは、巨大な’外から見るオブジェとしての’建築というよりは、
空間における身体から生まれるような建築や家具の作品。
建築の規模が大きくなったとしても、そういった空間体験の集合体としての建築となっている。

田島さんのスライドの中で、Bird Eye/Real Eyeというのが出てきました。
地図と現実の空間の両方を行ったり来たり、という話でしたが、鳥の目・アリの目に近いですね。

人口密度がある点を越えると、街を歩いているときの情報認識ががらりと変わるという指摘も興味深かったです。
密度が低いと、向こうからやってくる人の顔だったり、周辺の景色だったりを認識できる。
けれど高密度になりすぎると、まわりのひとの顔などのディテールは認識できなくなり、抽象的なものへと
変わっていく。

レクチャーが終わってから、田島さんと少しだけお話してみました。
東京キャナルのリサーチや提案が面白かったのですが、そこから浮かんだ疑問について。
それは、田島さんも含めて、さまざまな優れたリサーチや提案が日本の都市を対象として
生み出されているのに、現実のプロジェクトとしてなかなかそれが活かされている例を見ない。
アメリカやヨーロッパではそういったプロジェクトがすぐに実現へ向けて動いていたりコンペになったりするのに
なぜ日本ではそれが起こらないのか?

田島さんのお答えによると、
日本では限られた一部の人たちだけが、そこを動かしているから、ということでした。
では限られた一部の人たちとは?
それは、企業やアカデミズムのトップの人たち。そして共通してかなり上の世代。
若い世代がそこを目指しても、数十年かかってしまう。

うーん、昭和的というか官僚的というか。
でも、このようにも仰っていました。
その世代がそろって引退する日が近いうちに来るから、そのときに何か起こるかもしれないね、と。

例えば、横浜の米軍跡地のコンペが、これまでに日本であまり見なかったような企画で面白いなと思うのですが、
ひょっとすると若い中田宏横浜市長による判断もあるのかな、と想像します。

田島さんにはシアトルを気に入っていただけたようです。
今日(土曜)はケン・オオシマさんの案内で建築を見て回るそうです。
天気もすこぶるいいですし、楽しんでいただけるのではないかと思います。
[PR]

by ogawa_audl | 2009-05-17 05:27
2009年 05月 12日
鳥の目・蟻の目(ズームイン・ズームアウト)
どうも。眠れない日が続いています。
時差ぼけの後、熱出して寝まくっていたら、睡眠のリズムが完全に崩れました。
でも健康なのでOK。

母校の研究室で代々伝わる秘伝の言葉「鳥の目、蟻の目」。
建築や都市を考えるときに役立つのはもちろん、僕はいろんな場面で使っています。
マクロとミクロのようにとらえて考えるときもあるし、
理想と現実のようにとらえて考えるときもあります。
どっちか一方ではなくて、行ったり来たり、ズームイン・ズームアウトの意識が生まれるのがいいところ。

建築を考えるとき、僕は結局最初の直感が最終的なカタチまで続くことが多いのですが、
その初めのイメージをする焦点の場所によって、出来上がるイメージもだいぶ違うな、と気づきました。

いずれも鳥の目・蟻の目で、ズームイン・ズームアウトを何度も繰り返して考えるのは一緒なのですが、
そのズームイン・ズームアウトの中心点が、
室内の空間の中にあるのか、
敷地の庭にあるのか、
あるいは敷地へのアプローチや道路にあるのか、
で最終的なかたちが少し変わってくる。
どの場合も鳥の目・蟻の目であらゆるスケールでくまなく考えイメージするので、
同じ場所をそれぞれきちんと通過しているはずなのですけどね。
出来上がってくる形は似ていても、出来上がってくる物語が少し違ってくる気がします。
なんとなくそんな気がしています。
その危険性にも気づいたわけです。

話は変わって、
連休(アメリカにはないんですけど)を前後して、ブログを中心としたネット上で話題になっているネタについて。
ことの発端は海外で勉強して働こうというブログの書き込みから。
これについて有名なブロガーの発言から匿名の書き込みまでいろんな考えが出ています。
週末は風邪で家にずっといたので、あっちこっちのブログや書き込みを見ていたのですが、
はっきりしたいくつかのパターンが垣間見えて興味深かったです。

日本というシステムの中での現実と慣れと心地よさ。
それとは違うシステムに身をおきながら、日本というシステムを外から見ている立場からの気づき。

海外に長らくいると、強制的に鳥の目だけで日本を見続けることになっているので、
かつてとは少し違った視点で日本を見ているのは確かです。
しかもいろんなことが以前よりもシンプルに見えてくる。

一方で、日本の中でしかわからないであろう空気感のようなものから遠ざかっていることへの不安も少しだけ。

元ネタのブログのご本人は、一方では猛烈に支持され、他方では猛烈に叩かれていますけど、
僕個人の考えでは、
海外を経験するのもいいだろうし、
日本にずっといることでそこでしか生まれないユニークなものを生み出すのも
どっちもいいと思います。
要は自分に合っているという心地よさを感じる生き方をして、時に修正もしながら、
最後はそうやって得たものを、いろいろなバックグラウンドを持つひとたちが
日本のために活かしていければいいんではないかと。

グローバルなマーケットで国内向けのパイやネットワークを増やすのも正しいと思うし、
鎖国の日本だったからこそ生まれた優れたモノや文化があったのも真実だと思うので。
(最近のオシャレや身近な趣味などに入れ込む日本の若い人を見ると江戸の町人っぽいと感じる)

何かで読んだんですが、海外にいると愛国心が目覚めるらしいです。
僕もまんまとそうなっているような気がします。
まわりの日本人の友達の何人かにもそういう傾向があるような。

このネタに関してまとめた方がいます。
興味があればこちらにリンクがいろいろ
ぶっちゃけてて面白かったのはこの方




僕の師匠の教えでもうひとつ。

あたりまえを疑え

というのもあります。



(眠くならないので今夜もポルトの投入です)
[PR]

by ogawa_audl | 2009-05-12 15:33
2009年 05月 10日
天気はいいけれどまだ肌寒い日が続いています
朝がなかなか思うように起きれない週でしたが、
金曜にはついに風邪をもらったらしく発熱。38度線を越えました。
寝まくって土曜の今朝は平熱に下がりましたが。
仕事場の同じエリアの二人がゴッホゴホしていたので、そこからもらったのはほぼ間違いないと。
そんだけひどかったら家にいてくれるか、マスクくらいしてくれよ、と思ったり。

ワシントン州だけで、80人以上の豚インフル患者がいるらしいのですが、
そんなのどこ吹く風で、誰も気にしていない様子。
街ではマスクしている人もほとんど見かけません。

土日と泊まりで同僚の家族の別荘に呼ばれたのですが、それもあえなくキャンセル。
週末は家事と読書でゆったりの予定。

週明けからまたプロポーザルで忙しくなりそうなので、体調を整えないといかんわけです。
小さな町の市庁舎です。去年に引き続いて市庁舎のプロポーザルはこれで3つ目。

別会社の友人も、同じプロポーザルに取り組むらしく、勝負だね~というメールが届く。
ファイナリストにうちの会社が載っていたらしく、教えてくれた。
社内よりも速い情報がライバル会社から来たわけです。
[PR]

by ogawa_audl | 2009-05-10 03:27
2009年 05月 05日
スロースターター
時差ぼけからか、ついつい二度寝してしまい、いつもよりも遅めに出社。

休暇中は会社のメールをチェックしないのがポリシー。
なので、休暇前に取り組んでいたプロポーザルで勝ったことを遅れて知る。
1週間くらいの短期間でプレゼンを仕上げるというものでした。
自分でもそれなりに達成感があったので、勝ててうれしい。
なんかオフィス全体で祝杯したらしい。

内容はカナダの某都市のコンベンションセンター。350億円くらいのプロジェクト。
大きめのプロジェクトを1つ取ると、十数人が2年か3年食べていけることになるので、
経営者の視点からはかなりほっとするんだろうなぁと思う。

集中して作業してすぐに結果が出るコンペやプロポは結構好き。
性格的に、長距離走よりも短距離走のほうがテンション上がるし楽しい。

明日は早起きするぞ。久しぶりにジムに行きたいし。
[PR]

by ogawa_audl | 2009-05-05 14:02
2009年 05月 04日
休暇を終えてシアトルへ
豚インフルに少々びびりながら、日曜の朝にシアトルに戻ってきました。
でも成田からの機内では思ったよりもマスク着用率が低かったような。せいぜい2割くらい。

家に着いて、窓を開けて、手を洗って、イソジンでうがいして、シャワー浴びて、数時間眠った後、
のそのそと起きてパソコンを開く。
ima!君に実家へ送っていただいた末包先生の最終講義とその後のパーティのDVDを観る。
ノートにメモをとりながら。

常に発展途上で。
つまり幾つになっても向上心と挑戦する気持ちを持ち続けること。
そしてたぶん、楽しむことがその継続を助けるのだと思う。
巨匠たちがそうであったように、
僕も70代のじーさんになっても、新しいことを考え続け作り続けたいと思う。
余生とかいう他人が定義する時間は僕にはいらない。

そしてふと後ろを振り返ったときに、あぁこんなにいろいろやってきたんだな、と気づくのだと思う。
ちょうど末包研の過去のプロジェクトのように。

日々の暮らしの中では、やらなければならないことはいろいろ出てくるだろう。
ときには自分の意に反することもやらなければならないだろう。
そんな中でも、自分でテーマを持って、それに対する答えを探していたい。
別に高尚なわけでもなんでもなくて、単にそれが楽しいから。
今はコンペなどを通して実験と表現をすることが多いけれど、近い将来には実社会で試してみたい。
現在の仕事上ではまだ制約が多い。

このDVDは、自分が40代になったときにも再び観るに違いない。
同時に、50代の先生の姿もちらりと横目に見るのだと思う。
そしてそのときの自分をチェックするのだと思う。
同時に勇気をもらうのだと思う。

素晴らしい教材をいただきました。宝物です。
[PR]

by ogawa_audl | 2009-05-04 15:03