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2005年 12月 29日
behind
アメリカに来てから、全くテレビを見ない生活をしてました。
その理由は単純。持ってなかったから、テレビ。
でも親の家にはテレビがある。しかも日本の番組もちょっと見れたりする。

33歳で亡くなったライターであり作家奥山氏の番組をたまたま目にする。
彼の存在、日本国内よりもかなりの時差をもって知る。
書いて、書いて、ぎりぎりまで書いて、そして散っていったひと。

情熱の源泉、表現することの意味、その受け手との共感・対話、
そんなことを考える。

もっと前のめりになってやんなきゃな、と自戒。
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by ogawa_audl | 2005-12-29 16:30
2005年 12月 29日
housing
友人からメールが来て、シアトルでの新住所が分かりましたので
お知らせします。

8021 Stroud Ave N,
Seattle, WA
98103
USA

もろ個人情報の一部ですが、日本人しか見ていないと思うので、大丈夫でしょう多分。
5人のアメリカ人建築学生と一軒家をシェアします。
大学からは少し離れてしまいましたが、グリーンレイクという湖のすぐ近くで
良好な環境のようです。まだ見てませんが。
湖を囲むように緑がきれいな公園が整備されており、ランニングコースなどもあるようです。
これで、たるんだ体も少しは・・・、ね。
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by ogawa_audl | 2005-12-29 00:59
2005年 12月 19日
Seattle
翌日も夜は和食を食べに行く。
suna君とUWに交換留学中のN島さんと。
寒い中歩かせてしまって申し訳なかったなあ。
アメリカは車社会だと改めておもう。

夜中に空港へ。早朝の便でテネシーに。

そういえば、城島がシアトル・マリナーズに来るらしいですね。
イチロー、城島、長谷川。
シーズン始まったら見に行きたいなあ。
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by ogawa_audl | 2005-12-19 22:59
2005年 12月 17日
Japanese Food
ひさしぶりに戻ったUW周辺はちょっと懐かしい。
UWまでぶらぶら歩く。
アメリカの携帯を復活させ、タワーレコードでAir(フランス人)とEnyaを買う。
アメリカのCDはどれもほぼ日本の半額でいけるからいい。
建築の図書館でここ数ヶ月見てなかった雑誌をみたりする。
でも時差ぼけで意識を失いそうになる。
Gould Hallはパソコンルームが改装されて立派になってた。
FBIとかNASAとかの秘密基地みたい。
狭い廊下を歩いた奥の地下室に突然広い二層吹き抜けですから。

夜、sunaくん(http://blog.goo.ne.jp/sunagawamasaru/)と
合流してFremontというところにあるChisoという和食屋さんに
晩御飯を食べに行く。

久しぶりのちゃんとした日本の味。
とくに味噌汁と茶碗蒸しの味に感動しました。
シアトルは偽者(?)の日本食はよく売っているのですが、
‘正しい’日本の味を提供する店は限られています。

ローマでは米をあまり食べていなかったのですが、
イタリアの味はけっこういけるので、あまり気にならなかった。
でも、アメリカに戻ると、食べたいものが見つからない・・。
また自炊生活です、きっと。
経済的である以上に、味の問題から。

帰り道、行きに使ったバスがなくなっててあせる。
現在の夜のシアトルは寒すぎます。
どうやら去年の冬は暖冬だったようです。

ちなみにシアトルで美味しい和食屋さんは、ほかに
Shiki, Manekin, Kisaku
などがおすすめです。
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by ogawa_audl | 2005-12-17 23:59
2005年 12月 16日
Back to Seattle
ローマを早朝に出て、NYで乗り継いでようやくシアトルに到着。
トータルでほぼ24時間がかりの移動でした。

シアトルでsuna君に再会。
快適なお部屋です。
急なお願いにも快く泊めてくれました。感謝。
そして部屋でいろいろしゃべる。
去年の僕に比べてずっと多くの授業を取っていたようで、
かなり忙しかったようです。
そして多くのことを悟ってしまったようで・・。

この後、数日シアトルに滞在した後は、
家族に会いにテネシーへ。
やること多いので山篭りです。
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by ogawa_audl | 2005-12-16 21:30
2005年 12月 15日
After the program
ローマプログラムが終わってから、出国のフライトまで約1週間あったので、
イタリア国内でまだ行ったことがなかったところに行ってみました。

まずフィレンツェで友達と3泊。
ブルネレスキ、ミケランジェロ、ダ・ビンチ、ラファエロ、ボッティチェッリなどを堪能。
日帰りでピサにも行く。

そこからは
'See you in Seattle!'
と言い合って分かれて、それぞれがクリスマス休暇へ。

僕はヴェローナで1泊し、スカルパを見る。デザインのポイントはエッジと隙間かなあ、と思う。
スカルパのデザインはうまく既存の時間に溶け込む。スカルパのデザインで覆われた街が仮に
あったとしても、それほど違和感は感じないのではないかと想像する。
それってすごいことなのでは。デザインそれ自身が主張しすぎないからかな。

その後、コモへ。sue先生が好きだと公言されるジョゼッペ・テラーニを見る。
カサ・デル・ファッショは週末だったので内部も見ることが出来ました。ただし1階のみ。
毎回午後3時からのようです。
1階のホールの天井が印象的。b-in-dのイメージがちょっと浮かぶ。
連続する梁の形からはシンドラーのロヴェル・ビーチ・ハウスの印象も浮かぶ。
外部の印象は、’殻’に覆われたようなイメージ。
コモに点在するその他の作品も見る。
初期の作品からの劇的な変化にも驚く。
ジョージ・クルーニーの家もコモにあると、友達が言ってた。見てないけど。
この日はミラノに泊まる。

ミラノをざっと見る。ドゥモの屋根に登る。繊細な塔が無数に目に飛び込んでくる。
眼下に広がる街の先には雪に覆われた山々が連なって見える。美しい景色。
その後、地下鉄で少し郊外に出かけて、アルド・ロッシの集合住宅を見る。
ピロティ部分が予想外に美しくてびびる。連続する板状の柱の間。
断面に変化があるから生きていると感じる。単調ではなかった。
この日もミラノ泊。

翌日ミラノからローマに戻って1泊してから、翌日バチカン美術館に行く。


話は変わって
3月末に神戸の長田でUWとKUの合同で行われる1週間のワークショップ
に関して、こちらで募集がありました。
渡航費・滞在費が出るとあって、多くのUW学生がエキサイトして応募したようです。
ほとんどの学生が、日本に憧れながらも行ったことがないようですし。
僕はなんか応募しちゃダメな立場のような気がしてしてませんが。
そのときもし神戸にいたら覗いてみようかなと思ったり。
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by ogawa_audl | 2005-12-15 00:48
2005年 12月 06日
Final Review in Rome
スタジオのファイナルレビューが終了しました。
これでローマ・プログラムの全日程はほぼ終了です。
一夜明けた今日は、スタジオの後片付けとパッキングをした後、
打ち上げのようなディナーがあります。

ローマ・プログラムをふり返ると、内容は4つくらいに分けられます。

1.ウォーキング・ツアー    建築や街を見て回り、空間と歴史的な背景など学ぶ(建築史的)
2.ドローイング          ツアーの最中あるいはその後、スケッチやドローイングをする(アート)
3.スタジオ            リサーチやデザインをグループで行う(デザイン)
4.イタリア語           When in Rome, Do as the Romans do...

プログラムそのもののほかに、2ヵ月半の間、ローマで生活し、その空気を感じるというのも
得られるものの多い大切な部分のような気がしました。

スタジオのことについてちょっと書いてみようと思います。
正直なところ、個人的にも(ほかの多くの学生もそうみたいですが)、
非常にフラストレーションのたまるスタジオだったと思います。
事前に全くスケジュールが提示されなかったですし。
今思えば、あれはなんだったんだろう??と思うようなことに
多くの時間を費やしていたような気がします。

とくに、リサーチに時間をかけすぎて、ファイナルのためのデザインに
与えられた時間が短すぎました。デザインを含めた作業時間は1週間だけ
で、そのわりには規模の大きいものを設計することが求められました。

内容は、ピアッツァ(広場)とそれを囲む3つの建物を設計する、
というもの。
「はて、なんで3つと限定??」
と思って最初に講師に質問したら、
「3人グループで作業するから、そのほうがやりやすいから。」
という回答に唖然。作業しやすさのために、デザインの枠を既に
縮めてしまっている。それってどうなんやろ?とか疑問を抱きつつも
グループはすでに設定されていたので、戦いを挑まずそのまま進めた僕でした。

最終プレゼで求められたのは2枚のプレゼンテーションボードと5分ほどのムービー。
ボードは図面の類、ムービーはコンセプト、パース、シークエンスとか時間的な変化を
見せました。いずれも2台のプロジェクターで壁に映しました。下の2枚がプレゼボード。
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b0021501_19222897.jpg

スタジオでの指導と、昨日のレビューに来たイタリア人のアーキテクトとの
考え方が大きく違っていたのが興味深かったです。(僕はイタリア人の考え方に同意。)

スタジオでの指導は、周辺環境のデザイン言語を用いなさい、みたいな感じ
でしたが、レビューに来たイタリア人(35)は
「これは銀行みたいだ」
「これは病院みたいだ」
みたいな発言を連発。笑いが起こってました。
つまりこれらのデザインは’デザイン’ではなく’システム’だったわけで。

保守的なデザインを求めた指導者側にも、安易に既存のデザイン言語を使った学生にも
問題があったと思います。(とくにソフトウェアのなかの既存の窓をペタペタコピーして
使う学生にはため息が出た・・)果たしてそれでデザイン的なスキルが身につくのか疑問です。
僕は自分がやりたいように押し通し、結果的にそれでよかったと思ってます。

イタリア人建築家は、もっと新しいデザインを見たうえで、ただその見た目を真似るのではなく、
現在の優れた建築家たちが、与えられた条件についてどのように解き回答を出したのか、
その考え方から学び自分のデザインをつくりなさい、というようなことを最後におっしゃって
ました。僕も同意。周辺が古い街だからといってそのまま同じものをコピーするのは
ちょっと違うのではないかと思います。

そもそも現在に至るローマの街並みもその古さには違いがあってデザインも少しずつ
変化してきているわけですから。ところどころに見えるそういった小さな変化の積み重ねが
この街の面白さを作り出しているのだと感じます。

レビューの後、チーズとワインで軽い打ち上げ。
イタリア人若手アーキテクトと少ししゃべる。
イタリアの仕事の状況とか聞いてみた。
イタリアでの建築家としての仕事はかなり厳しいようです。
建築できないから、車とか家具とかのデザインをしたりしているそうで。
彼はパートナーと組んで建築を教える学校をつくったそうです。
そして世界から来る学生に1週間~の短期滞在のスタジオを教えているそうです。

彼にこんな質問をされました。
「イタリア人の現代建築家の名前を挙げてみて?」
「レンゾ・ピアノ、それから・・アルド・ロッシ・・」
「現在生きているひとだけ!」
「レンゾ・ピアノ・・それから・・・・(僕、思い浮かばず)」
「だろう?」
つまり、有名になれるだけの仕事がここにはない、
ということを言いたかったようです。
才能あるひとはいっぱいいるのになあ、みたいなことを言ってました。


最後に、

UW、もっとデザインをしないといかんよ・・と思ったり。
コンピューターを含めた仕事を進めるスキルと真面目さはあるのになあ。
でも同じチームだった学部生のダンとトリーナには感謝。
注文の多い僕によく付き合ってくれたと思う。
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by ogawa_audl | 2005-12-06 18:58