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2005年 02月 26日
Nathaniel Kahn
UW建築都市計画学部レクチャーシリーズで、ルイス・カーンの息子さんの講演に行きました。彼はカーンの最も若い子供で、カーンが73歳で亡くなったとき、まだ11歳だったそうです。現在は映画制作者をしています。背の高くないところや、目元がするどいところはやはり親子なんだなあ、と感じさせました。なんとなく”空気”を持ったひとでもありました。

今回は彼(息子さん)が撮った映画
”My Architect : A Son's Journey”
(http://www.myarchitectfilm.com/)
を2時間くらい見て、その後、質疑応答という形式。この映画は、自分の父親であるルイス・カーンがいかなる人物だったのか、監督である息子さん本人が、建築そのものを訪れるとともに、カーンに接した多くの人たちにインタビューをするというものがドキュメンタリーで描かれています。ドキュメンタリーといっても、撮った本人が建築の専門家ではないので、そんなに固いものではなく、かなり笑えるところもあります。インタビューでは、ジョンソン、ペイ、ゲーリー、サフディなど建築家も多く登場しています。もちろん家族やほかの子供なども登場します。その作品や彼にかかわった多くの人たちを訪ねることによって、わずかな記憶しか残っていない父の面影を探す旅のような作品になっています。DVDで出ているらしいので、ルイス・カーンの人物像に興味のある方は見てみると面白いと思います。

以下、質疑応答での彼の言葉

「どれかひとつを挙げるのは難しい。どれも父の様々な側面を表しているからね。」
(カーンのどの作品が一番好きかと聞かれて少し悩んだあとの答え)

「どの作品においても格闘した結果に出来上がっていることが分かった」

「建築にも映画にも、一番必要なのは、勇気」


僕にとって、カーンの作品はアメリカで最も見てみたい建築です。
カーンを生み出したのだから、アメリカにもきっと”何か”があるに違いない、
と思っています。でも、かれの作品が現在の形に大きく変化したのは、
イタリア、ギリシア、エジプトを見てまわった後からだということなのですが・・。
エジプトのピラミッドなどを見て”timelessness”に目覚めたそうです。
確かにカーンの作品には、時代を経ても色あせないスピリチュアルな空気が
あるように思います。
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by ogawa_audl | 2005-02-26 15:40
2005年 02月 24日
レビューのコメントを聞いていて
シンプルなものを好むのはわかる。
でも、シンプルが単なる「単純」になったら一気に輝きを失うと思うのだが。
ここでのミニマリズムと、日本にあるミニマリズムは一見似ていてかなり違うと思う。
そもそもミニマリズムに至るまでの背景が全く異なるように思う。
結果的に似ていても、よく見るとその違いがわかってくる。
そこに現れる意味あるいは雰囲気が全く異なっている。

線が線でしかない、1が1でしかない、というのはシンプルだけどつまらない、と思う。
1本の線がよく見ると線ではなかったり、違う意味を含んでいたり、複雑であったり。
また、その意味自体がこれまで気づかなかったものであったり。

シンプルでありながら、様々な意味を持たせる、というのは
かなり日本的なのかもしれない、とここに来て思った。

シンプルなものに様々な意味が重ねられているものに
身近に接し、その手法を無意識に知っている日本人だからこそ、
シンプルなものの中にまた新たな意味を探すことができるのだと思う。
それに慣れていないひとたちは、
シンプルな中に新たな意味を見出そうとする発想すら
生まれないのではないか。

結果的にシンプルなのはいいが、
そこに至る発想もシンプルであるというのはどうかと思う。
もっと考えるべきことがたくさんあるはずだと思うが。

ここではたぶん、負ける建築とか原っぱとか分かってくれるひと、いないかも。
そもそも、現在の枠組みを全く疑っている気配がない。
すでに存在する言語のみを組み合わせていくだけでいいのか。
とりあえずかっちょよく、あるいはきれいにまとめてしまえばそれでいいのか。
かつてのボザールのようになってしまう、というか、なりつつあるように感じるのは気のせいだろうか。
ノースウエストから新しいものは果たして生まれるのか・・・

書きなぐってすみません。
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by ogawa_audl | 2005-02-24 12:42
2005年 02月 20日
Ando
皆が何度も笑い、皆が何度もうなずき、終了後の拍手もなかなか鳴り止まない。
安藤さんの講演会、お見事でした。

具体の作家とのつながりやその作品の紹介で始まり、なかなか安藤さんの作品が出てこない、という意外な始まり方でした。その後は、日本の都市について写真も交えて言及し、ようやく安藤作品が出てきても、それらは実現しなかった過去の提案。そしてようやく近作の紹介へ、という流れでした。紹介された近作は、直島、フォートワース、ルノー、明石海峡の住宅など。
作品紹介だけでなく、自身の信念や、若い建築家や学生へのメッセージも。

~安藤語録~
「毎回卒業設計のつもりで取り組んでいる」
「20世紀は戦争の時代、21世紀は文化・生活を楽しむ時代。だからこそ建築を作る者にはより一層の責任が生じる」

通訳を介してでしたが、伝えたいことは聴衆にしっかりと伝わったのではないかと感じます。
さらに終了後は、ロビーで写真やサインに気軽に応じる姿も。
帰ってゆく人々の顔がすべて満足そうで笑顔だったのが印象的でした。
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by ogawa_audl | 2005-02-20 15:34
2005年 02月 20日
ここ数日、シアトルはずっと天気がいいです。これはこの季節としては結構珍しいことなのではないでしょうか。空は青く澄みわたり、たまに現れる雲は夏のように大きく白く、冷えた空気は頭の熱を奪っていく(髪を短くしたから余計に)。こんなときは外を歩いているだけでも気持ちがいいです。日没前の紫色に変わってゆく空もきれいです。

こういう情景は誰もが美しいと感じると思います。悩んでいるときでさえも、一瞬すっと悩みを忘れ、我に返ったり、心が穏やかになる。美しいものとは、究極的にはそういうことを引き起こすものかな、と思います。

例えば、sog君も僕(実際に完成した空間に立ったわけではないですが)もお気に入りの夙川の階段の空間も、忙しい日常の中に、そういう瞬間を与えてくれるのだろうと感じます。

満たすべき機能や要求を超えたこういった’場’を生活の中で持っているかどうかで、そこで多くの時間を過ごす人の精神状態や人間形成も大きく違ってくるのではないでしょうか。政治や経済のように瞬時に大きな問題を解決することはできないかもしれませんが、教育における人間形成のように、それは将来的な社会的貢献につながるのではないかとも思います。

sue先生の  ’美しさを考えていきたい’  という言葉にはっとさせられ考えました。

建築はその大きさや寿命の長さからか、計画時に必ずそれを正当化する理由が求められてきたように思います。広さ、経済性、強度、安全性、明るさ、快適さ、使いやすさ、遮音、etc・・・そしてさらに今は、サステイナビリティ、人の動き、などが説明時の理由として挙げられています。これらはどれも考慮するべきだと思いますし、満たすべきものだと思います。でも’美しさ’を理由の一番目にもってくることは、モダニズム以降、あまりなかったのではないかと感じます。主観も入るあいまいなものだし、数字ではっきりと証明することが難しいからだろうとも思います。
「その形にした理由は何ですか?」
「美しいからです」
と堂々と言うのは難しい。そこで多くの場合は、別の理由を並べた後で、美しさは最終的に調整や付加するもの、あるいはこっそりとやってしまうもの、だったのではないかと思います。つまり面と向かって言葉には出してこなかった。

しかし、理由の第一番目として、「美しいからです」 といえるように、美しさをメインとして考えていってもいいのではないかと思いました(もちろん他の必要な要求も当然満たした上でですが)。そういう意味では、’美しさ’は建築デザインにおける’フロンティア’になりえるのではないか、と。現在の状況を考えると、’量’としての空間は満たされたからこそ、今度は精神的豊かさとしての’美しさ’が成立していく状況になりつつあるのではないかと考えられますし、そうあってほしいという個人的な未来への願望もあります。美しさを極めるのは、僕にはひじょーに難しい、というかほとんど望みなし、と感じますが、美しさを考えることはあきらめずに続けていこうと思います。次に帰国したときは、青木さん、SANAA、藤本さん、ヨコミゾさんらの実作を、特に美しさに注目しながら見てみたいなあと思います(ややひねくれた見方かも)。

写真は現在のスタジオ。窓からは日光でオレンジ色に光るレンガの壁が、天窓からは澄んだ青い空が見えます。この週末は月曜までの3日連休ですが、週明けのスタジオのレビューやら他の授業の課題やらが重なって、とても休んでいる暇はなさそうです。おそらく唯一の息抜きは安藤さんの講演会。そしてこのブログ。
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by ogawa_audl | 2005-02-20 04:20
2005年 02月 12日
来週ちょっときつそうなので、時間と元気があるうちにまとめ書きをしてしまいます。

今日、見学会に向かう道中に、同じスタジオのナホさんと色について(特にアメリカでの)少し話していたので、それをもとに考えたことを書いてみようと思います。

こちらに来て初めて受けた授業のなかに、「色」があります。最近のcolor and lightの授業では、太陽光の色について模型を使って実験しました。内部空間に見立てた細長いBOX(内壁は白)を作り、その内部に差し込む太陽光の色の変化を見たのですが、北側から差し込む光が青いということを今さらながら実感しました。逆に南側からの直接光は黄色っぽい。また木の緑に反射して差し込む光は当然のように緑。これはなかなかおもしろい体験でした。また授業だけでなく、アメリカ人の色に対する意識と日本人のそれとの違いも感じられます。彼らは絵などに限らず、建築(内部だけでなく外壁も)にも色を使うことを好み、またそれを評価する傾向がみられます。もちろん個人差はあると思いますが。一方で日本人はモノトーンを好む傾向があるように感じれられます(建築では特に)。一部の寺社に使われた極彩色を除けば、庶民レベルでは白黒を基調とした建築に慣れ親しんだ文化が背景にあるからでしょうか。例えば、現代の光を扱う代表的な建築家を考えると、安藤忠雄、S・ホール、J・ヌーベルなどが挙げられますが、各人が表現する光や色はそれぞれ異なっているように思います(じゃあ、カーンは?と言われると困ってしまうのですが・・)。

僕自身の色に対する感じ方はというと・・・やはり古いタイプの日本人なのでしょうか、派手な色は落ち着かないです。特に人工的に作り出された色はどうも苦手です。四季の色の変化や、朝夕の色の変化、素材が作り出す自然の色は好きなのですが。モノトーンの世界だからこそ、自然に存在するわずかな色の変化を敏感に感じやすいのではないかとも考えます(これは自分への言い訳・・)。いずれは色もうまく使えるようになりたいなあ、と思う今日この頃でした。
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by ogawa_audl | 2005-02-12 14:08
2005年 02月 12日
ノースウエストのデザイン
やっと週末。なんとか疲れを取りたい。湯船につかりたい・・。
今日の昼、スタジオの仲間に誘われて、シアトルに新しく出来たシティホール(市役所?)と裁判所の見学会に行きました。ガラスを多用し屋上緑化、という印象でした。これが現在のノースウエストのデザイン傾向をよく表していたので少し書いてみようかと思います。(個人的には別にそれほど感動した建物でもなかったのですが。)

まずその特徴は、①ガラスを多用している②ファサードに鉄骨などの線材が目につく。
日本の都心で最近次々に建てられているガラスのビルと一見似ているようで少し異なっています。それを自分なりに比較し表現してみると、日本の場合は面がすっきりと閉じている印象で、NWの場合は表面がなんだかとげとげしている。この特徴を生み出しているのは、「光と雨」ではないかと思います。

まず光について。この地域では、夏の太陽よりも、秋から冬そして春にかけてのくもりの天気が多いことは以前お話しましたが、そのため光は遮りたいものというよりは、できるだけ採り入れたいということになる。だからガラスが多くなるわけです。かといって夏はそうもいかない。そこでガラスのダブルスキンになったり、ルーバーが付いてくるために、鉄骨の線材とともにファサードに変化(とげとげ感)が出てくるようです。

つぎに雨について。夏以外はここではよく雨が降ります。ざあざあとは降りませんがしとしとと降ります。そのため、例えばこの周辺のバス停には必ず屋根が付いています。これと同様に、ビルの周辺にも雨をしのぐための「庇」がついてきます。新しいビルなどには、ガラスでできた庇が付いています。ここでもガラスを使うのも先ほどと同様に光を遮らないためと思われます。そしてそれを支えるのは鉄骨のキャンチとなり、これがまたとげとげ感を生み出している要因のひとつとなってきます。

ということでこれらをまとめると最近流行のNWのデザインとなるわけです。ちなみにシアトルの北に位置するバンクーバーではもっとガラスの使われ方が多いようです。

気候条件が建築のかたちに影響を与えているというかなり当たり前の結果でした。(材料と工法の開発ももちろんありますが。)
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by ogawa_audl | 2005-02-12 12:44
2005年 02月 09日
Lecture Series
昨日の晩、大学で特別講演会を聴講しました。
これは、今学期1週間に1回くらいの割合で、建築家等を招いて講演していただくというもので、今回が3回目。もちろん無料です。
1回目はXiaodong Li という40代くらいで北京の清華大学の教授で建築家の方。
2回目は雪で飛行機が飛ばなかったためランドスケープアーキテクト本人が来られず、延期。
そして今回の3回目はSasaki Associates, San Francisco の方と、ARUP,San Franciscoの方でした。
このシリーズはあと2回ほど続くようです。最終回はmy architect/ a son's journeyを撮ったカーンの息子さんらしいです。これとは別に来週は安藤さんの講演もあります。
こういった機会は、自分のアイデアや思考に対する何らかの刺激が受けられて有意義です。
また、人前でのプレゼンテーションのいい勉強にもなります。こちらでは、必ずと言っていいほど、笑いを狙ってくる。エンターテイメントの国ですね。昨日も、スライドの中で頭を抱えるゴリラの写真なんかが使われていました。真面目な場所で平気でこういうことをやってくるところがいかにもアメリカらしい。

さて、今回のテーマはサステイナブルデザインでした。
このサステイナブルデザインというやつ、UWでもスタジオのほとんどの課題で出てくるほどここでは流行っています。それを物語っているかのように、会場には学生よりも明らかに年齢層の高い建築家の方々が外部から多く足を運んでいたように見えました。サステイナブルデザインの理念は分かるものの、その手法というか枠組みがいまいち自分なりに消化できていません。ひとえにサステイナブルデザインといっても様々な取り組みが見られるからです。例えば設定する時間の長さによってサステイナブルデザインへの解答は異なってきますし、テクノロジーに注目する人もいれば、材料に注目する人もいる、さらにはライフスタイルや思想に言及する場合も。東大の難波先生はサステイナブルデザインが今後の主要なデザイン手法になるというようなことをおっしゃっておられますので、それとの比較も含めて、自分なりにサステイナブルデザインを消化したいという想いから、この講演会に参加しました。

内容は、あるアートスクールのプロジェクトを取り上げて、そこに取り込まれているサステイナブルデザインについて、デザインとエンジニアリング、プログラムの観点から説明、という感じでした。

このレクチャーで言うところのサステイナブルデザインとは、主に天候・日射・通風・換気に対して、エネルギー的・経済的に解答を出し、デザインに含ませる、ということになるようでした。簡単に言うと室内環境とエネルギーコストでしょうか。しかし、エンジニアが後から加わったためか、出来上がったものが、当初の絵に比べてこてこてとしてしまっているのが少し残念。もう少し早い段階から協働していれば、もっとすっきりした形に納まったのではないかと思ってしまいます。あるいは設計者に、初期の段階からそれを予測していく力(理解や知識)が必要なのか。ピアノとライスのような関係が理想なのかもしれませんね。
個人的には気流をシュミレーションした上で、開口部の位置や断面形状が決められているのが興味深かったです。内藤先生が風(あるいは気流?)をデザイン決定の要素として注目しているのにもつながるかなあとか思いました。

でもやはりまだすっきりと消化できず・・もやもやは続きます。
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by ogawa_audl | 2005-02-09 01:59
2005年 02月 04日
Review 1/3
水曜に、今学期3回あるうちの1回目のスタジオのレビューがありました。今回は主に、コンセプト、サイト、テクノロジーに関するものがメインテーマとなっていました。アーキテクト、ランドスケープアーキテクト、エンジニア(おそらく水再生処理に関する人)、生物学者(あるいは環境?)、プロジェクトコーディネーターなどの方々を招いて、別室を借り切って発表。細長い窓のない部屋の壁一面に各自のプラン・スケッチ・模型その他もろもろを配置。僕は図面と模型に加えて、部屋を暗くしてプロジェクターを使って発表しました。ストーリーやイメージを伝えるのに効果的だったと思います。反応も上々。

今回の敷地は細い川に沿って人工的に整備された平坦で広大な敷地。そこに水の再生処理施設を計画するのですが、敷地に対して建物の規模はかなり小さいといえます。ちなみにこの計画はMiller/Hull Partnershipで実際に進められている(あるいはペンディング?)状態のようです。

他の学生が、設備を敷地の隅に寄せて、広大な敷地にあまり手を加えていないのに対し、僕は建物とランドスケープを等価に扱い、さらに50年後の姿も含め、経年的なビジョンを示した点で異なっていたように思います。このあたりは安中コンペでの経験と反省が活きています。また、伝統的に日本人が持つ自然への考え方や人との関係性が、アメリカ人のそれとは異なるので彼らには新しく映ったようです。もちろん彼らの一般的な思考(人と自然との二項対立)を知っていた上で意識してそうしたのですが。発表後の質問や意見を聞いていても、彼らの意識として、自然は外から見るものだという心理がうかがえました。これを変えるのは容易ではなさそうです。人は自然の中に存在しているものだという日本人の伝統的な意識(アメリカの先住民族もそうだと思うのですが)とはやはり少し異なるというのを実感しました。

自然を制圧するための力(文明)を持って新大陸にやってきた者と、自然への依存や共存を長い歴史の中で学んだ者との違いなのだろうか、それとももともとDNAの中に存在する変えられない心理なのだろうか。大陸への移住者が先住民を尊重し、文化的に融合していれば、現在のアメリカはもっと興味深い国になっていたかもしれない・・。質問を受けながらそんなことを考えていました。

終了後、悪寒と頭痛がしてやばい状態に。ジョーという坊主頭でまつげの長い学生がインフルエンザだとかいいながら最近ゴホゴホいっていたので、やや心配になり帰ってすぐに寝ました。12時間ほど寝て目覚めたらだいぶましになっていたのでひと安心です。疲労で免疫が弱っていたのでしょう。なんとしてもこちらでは病院にだけは行きたくないですから。恐怖。
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by ogawa_audl | 2005-02-04 00:14
2005年 02月 01日
スタジオにて雑談
現在のスタジオは学生が9名でそのうち日本人が2人。1人は僕でもう1人はナホさんという東京出身の方。彼女には前の学期からいろいろ助けていただいています。彼女はアメリカ生活も長く、UWも3年目ということで僕にとってはありがたい存在。そのナホさんに、大学から通訳の打診が。相手は安藤忠雄氏。2月半ばに講演会があるらしいです。講演のためにわざわざシアトル?と思ったら、こちらにチャペルか何かを作っている最中らしいです。全然知らなかった・・。タイプの異なる二人の光の建築家によるチャペルがシアトルにて競演となるのでしょうか。Tadao Andoはこちらでも最も知られた日本人建築家です。その理由は作品を見れば明らかですね。日本での講演との違いを見るのが楽しみです。

スタジオのチェックを終えた後に、アーキラボの本をパラパラとめくっていたら、「なにそれ?おもしろそうだねえ。」という感じで数人に囲まれました。その中にちょうど、アメリカの東海岸やロスで流行しているぐにゃぐにゃツルツルしたデザインがあったので、ちょうどいいと思い、アメリカ人学生に質問をぶつけてみました。
「このデザインはなぜに?同じアメリカ人としてどうなん?」
その答えは、
「ただ見た目が新しくて注目をあびるからじゃないか。でも、家具を自由に置けないようなものって間違ってると思う。まあそれによって、建築家は建築とともに家具もデザインする必要が出てくるから、仕事は独り占めだね。もちろん、儲けもね(笑)。」
というようなものでした。期待していたよりもやや軽い答えでしたが、これも事実だろうと思いました。このようなデザインが、視覚的な新しさを越えて社会を変えていくようなことが将来的にあるのかどうか。それとも一時的な流行であるだけなのかどうか。時間ができたら少し調べてみようと思います。例えば、東海岸やロスの学生の返答はこれとは全く違うと考えられます。

末包先生の本のご紹介は、直に日本の書店に行って実物を手に取ることができない自分にとってはとても貴重な情報源となっています。日本の本はアマゾンで簡単に手に入れることが可能です。便利な世の中です。ちなみにアマゾンはシアトルが本社らしい。でも地元割引はない。
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by ogawa_audl | 2005-02-01 23:14