2008年 02月 03日
日本の建築界(70年代~現在)
「内藤廣対談集 -複眼思考の建築論ー」を読む。
アメリカに来る直前の2004年の夏に、内藤廣の建築をいくつか見て回ったのが懐かしい。
熱は少し冷めたものの、今でも日本人建築家では気になる存在のひとり。
社会と建築界とをバランスよく同時に見つめているという印象は変わらない(伊東豊雄や藤森照信にもそれを感じる)。

この本は内藤氏とゲストとの対談をまとめたもの。
ゲストは建築と接点を持ちながらも建築設計以外を専門にするひとたち。
そのひとたちの目線からみた建築家を語ってもらおうという趣旨。

いろいろな分野のひとが出てくるのですが、それらは今回は置いておいて、
巻末の、林昌二、香山壽夫、内藤廣の対談による
70年代以降の日本の建築界の総括がおもしろかったので紹介。
僕が建築を学び始めたころ、建築界はなんだか霧がかかったようで居心地の悪さを
感じていたのですが、背景を知ると、そうだったのか、納得、という感じでした。

日本の建築業界の流れを簡単にまとめると、こうみたいです。
この3人の目から見て、ですが。

60年代
・大変苦労した時代であると同時に、ものづくりが面白かった時代

70年代前半
・大阪万博(1970)
・苦労を終えた収穫の時期
・皆が近代の建築を理想として追い求めた
・建築の工業化(プレファブ化)が行政の保護もあって拡大
・オイルショックでゼネコンの多重下請けが始まる

70年代後半
・近代のやり方に疑問(負の部分)が出てくる
・建築家、巨大設計事務所、ゼネコン設計部、プレファブメーカーというカードが出揃う
・万博後、磯崎新を中心として観念的な建築議論が主流になる(具体物としての建築から離れる)
・林:「建築家は現実に対して見て見ぬふりをする癖がある」
・内藤:「建築家が住宅設計を最後の砦として閉じこもる。個人の生活をどうするかを考えた」
     「同時に、建築家からの都市論が極めて少なくなる」

80年代前半
・観念的建築議論の主流が続く
 (内藤:「ものづくりの物質に近い方を、半ば建築家は見殺しにした」)
・ポストモダンの出現

80年代後半
・プラザ合意(1985)によりドル高円安から円高へ、そしてバブル(~1992年)へ
・土地を埋めるために床をつくっているだけの時代
・次々に新しい建物が出来る
・統一感があった日本の都市空間が消える
 (特に地方都市で顕著、日本のまちの風景が消滅、宮脇檀による地方都市の記録調査)
・価値がわかるクライアントの消滅
・建築の価値が資産としての価値に(商業主義のための建築へ)
・観念的建築議論とポストモダンが、バブルの状況下で採用されてポストモダン建築が増殖
・安く早くの時代背景や、建築材料の工業化により、職人の世界が崩壊

90年代
・バブル崩壊
・家族像の崩壊により、建築家の最後の砦も崩壊。建築家が居場所を失う。
・バブルのツケを払い続ける
・信じ続けていたコルビュジエの描いた建築・都市像の崩壊
・日本人は明治以降、国家全体がひとつの目標「最先端」「前衛」を追いかける構図だったが、
 その目標や思想が失われた途端に、わからなくなり、何もやることができなくなった。


この後、失われた10年と言われる氷河期の後、
中国経済の急発展の波に便乗して、日本の経済も持ち直してくるわけですね。

最後に、3人が語る今後の建築界ですが、

・場を欲している人たちのために尽くすべき(内藤)
・つくるおもしろさ(香山)
・建物を使う人、その前を歩く人などの反応を手がかりにしてつくっていくことで喜びを(香山)
・自分の生活から考え直すことが大事。どう生きていくか(林)
・人口減少により良い意味での本当の成熟が始まる。拡大傾向の社会と縮小傾向の社会は
 全然違った価値観になる。いいクライアントが生まれてくる可能性がある社会(内藤)
・人間の尊厳を保障する建築の価値(内藤)
・カーンのような存在が日本でも生まれてきたらいいな(内藤)
・自分の生き方を貫いてみせる新しいタイプの人間(香山)


この最後の部分は、いまいちパッとしないんですよね。
たぶん、そこは彼らの仕事ではない。
われわれ次世代の仕事なんですね。
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by ogawa_audl | 2008-02-03 16:20


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