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2008年 01月 14日
二つの世界(知と身体)
今週末は休息と読書と家事と食事会。
心身ともに疲れがとれた感じ。

「ヒューチャリスト宣言」(梅田望夫/茂木健一郎)を読んでみました。
これも新しい発見と刺激があって面白かった。
なによりも未来に対して前向きな発言をしているのがいい。
これもまだ読んでいない同世代のひとやもっと若いひとたちに薦めます。

印象的なのは、インターネットが発達すると、
「知」の情報がますます簡単に、タダで、瞬時に、世界中で、誰でも、手に入れることができるようになる。
そうなると、ネットを使っての学習がひとりでも何不自由なくできる上に、
ネット上で多くのひとが介在することで既存の知は瞬時にさらに上のレベルの知へと発展していく。
全世界の図書館・研究所・会議場や全人類の頭脳がつながっていて、
それをみんなで共有しているようなものになるということ。
こうなってくると、インターネットは水や電気や空気のように誰でも利用できて当然のインフラになってくる。
さらに、情報や知の発信源が既得権益(マスメディア・大学・研究機関)だけのものではなくなる
ので、その既得権益は必要なくなるか、かなりカタチが違ったものになってくるだろうということ。
ネットは人間の学ぶ喜びを深め、加速する場所となる。

これを、「もうひとつの地球」、別の言葉では、「知や情報の空間」と呼んでいる。

それと対になるのが、「リアルの地球」、つまり物理的、身体的な世界。
これもなくならない、と言っている。

この二つの地球の間を行ったり来たりするライフスタイルになる、らしい。

知の記憶装置と図書館(情報源)がネット上に存在するようになると、
個人に必要とされるのは、新しい発想をする創造性。そのひとにしかない独自のもの。

なんだかいろいろ変わってきそうですね。
学校での教育方法も暗記教育に価値がなくなって発想力を育てるようなものになるかも。
(発想力を確実に鍛える教育方法がすでに確立されているかどうかは未確認です。誰かやってそうですが。)
個人の発想力の向上 + ネット上のアイデアの交換と議論 によって
新しいものが毎年大量に生まれやすい環境になるかもしれない。
人類の進化ともいえる大きな出来事になっていくように思えます。

ところで、リアルの地球に残っていくもの(喜び)はなんだろう、と考える。
おそらく、視覚聴覚と脳だけでは感じることのできないものなのでしょう。

建築・都市・ランドスケープなどはリアルの地球のほうに属すものだと思う。
(映画のストレンジ・デイズに出てくるような装置が生まれたらちょっとわからないけれど・・)
そして、そのときには、その場に身を置かないとわからない感性に訴える空間なりに、価値が出てきそうな気がします。

そのほかには、移動というものはどういうときに必要になってくるのか?を少し考えてみたい。

たとえば、ネット上でコミュニケーションが全て出来るようになる。
会議や商談やカンファレンスもネット上でお互いの顔を見ながら不自由なくできる日も近そうです。
今までは、その場にいなければ得られなかった情報も、ネット上に全てアップされてたり。
実際に会わないと失礼だ、という概念さえ変わってくることも考えられます。
(例えば、アメリカの大学ではネット上の情報の信頼度を日本よりも高く扱っている気がします。
レポートではみんなネットの情報を当然のように使っていました。日本にいたときは文献重視だったように思います。)
物流はなくならないでしょうが、ヒトの移動は減ってきそうな気がします。

最後は実物にさわる、場の空気を感じる、そういうところがリアルの世界の価値になりそうな気がします。
例えば、大切な人と同じ空間で食事をするハグをする、世界遺産の街や建築や自然を訪れて身を置いてみる触れてみる、
そういったものはネットの世界ではまだしばらく代用出来そうにない気がします。

このような「ネットの地球」が発展したときに、
相対的にリアルの世界の価値を最大限にする方法は何か?
ネットの地球から最も離れたものかもしれないし、
ネットの地球との関係性に特化したものかもしれない。
まだしばらく考えてみたいと思います。
そこから新しい空間概念や空間形式が出てくるかもしれない。
そんな考えるヒントを得た気がしています。

by ogawa_audl | 2008-01-14 15:24


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