「落ち葉についた朝露」の映像がここのところ頭をよぎる。
Sue先生が学生時代にフランプトンの講演会で目にされた
アメリカノースウエストの批判的地域主義を表す絵。
吉田兼好の徒然草の中で、
「 住まいは夏を旨とすべし」という一説があります。
これはもちろん日本の気候風土から出た言葉。
シアトルでは、冬を旨とすべし。
とでもなるのだろうか。
この土地では霧のような雨に包まれた風景が秋から春まで続く。
建築も、そのような気候のもとで成立するものを旨として考えるべきかもしれない。
モダニズム、ポストモダニズムのあと、
表層あるいはスキンの表現に力を入れた作品が多く見られる。
シアトルでは、その建築の物質的スキンのさらに外側にもう一枚、
白く曇る霧雨が建築を包み込んでいるとも見なすことができるだろう。
このもやもやした白い最外殻も、建築のデザインの一部として積極的に用いる方法はないだろうか。
夏のシアトルは、建築なんか考えなくても、
かなり美しく過ごしやすい気候。
一方、冬は全国でネタにされるくらい、悶々とした雨の日が続く。
こういう気候のもとでこそ、建築が力を発揮できるのではないか、と思ったり。
空間、建築、都市のアイデアやデザインを通して、
楽しい冬のシアトルを創り出せたらいいなあ。
ビールでいい気持ちになった帰りのバスでそんなことが頭をよぎる。