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2005年 06月 19日
Jun 17 in New York
3~4時間ほど寝て、シャワーを浴び、大部屋の暗い部屋の中、ごそごそと荷物の整理。アムトラックの駅に行く前に、KINKO’Sに寄って書類のコピーをする。

6:30AM、アムトラックでNYへ向けて出発。
車内はシートも大きく快適。車内では本も読みたいけど景色も見たいなあ、
と迷っていたのですが、結局どっちもできずに気づけばうたた寝。
2時間ほどでNYのペンシルベニア駅に到着。
駅のすぐ隣にある中央郵便局へ行って書類を送る。NYの空気はうってかわって心地よかった。シアトルにいたときのよう。でもちょっと匂いが気になるかなあ。

まずはホテルへチェックイン。まだ朝だったけれどチェックインできた。ユースの予約がとれなかったので、安ホテルを予約していました。安いといってもユースの3倍かそれ以上の料金。でもホテルの相場が200ドルのNYでは、間違いなく安いホテル。だからネットも使えない。狭い部屋に二段ベッド、バスルームは2部屋の間にあって共有。どちらの部屋からもドアでつながっている。このバスルームのドアの仕掛けがなるほど、とおもしろい。長いチェーンが向かい合う二つのドアをつなぐ。だからどっちのドアにも一気に鍵がかかる。こんな発想なかったなあ。
疲れたのと一人部屋の安心感からか、1時間ほど眠る。

目覚めてから、マンハッタン島を歩いて南下。それにしても無駄なものも含めてエネルギーにあふれた街だ。自己主張のぶつかりあい。人も車も。

地下鉄でグラウンドゼロへ。まずは訪れようと思っていた。美術館などに行くよりもまず最初に。そこにNYの今、そして世界の今、の原点があると思ったから。
駅が近づいてくると、地下鉄の窓から光が入ってきた、と思ったら、そこが現場だった。
地上へ出る。とても多くの人が訪れている。でもまだ観光地化してしまうべきではない、とその場に立ってみて思う。笑顔でVサインで写真を撮っているひともいた・・。
あらためて地上から見るとその敷地は広かった。そしてぽっかりと空が見える。広い空。NYのビル街では普通見えない大きさの空。そこを占めていたビルの容積の大きさと、そこに存在していた人たちの数を想像すると、あの出来事の異常さがわかる。そもそもここに2機のジャンボジェットが入ってきただけでも驚きなのだが。亡くなった方々とその家族や友人。まだまだ続いたであろう人生の時間。その無念さを想像すると涙が浮かんでくる。

現場の写真はあまり撮る気になれなかった。僕が撮らなくてもメディアが撮り尽くしていると思うし。かわりにそこの空を映す。

歩いてマンハッタン島の南端にあるフェリー乗り場へ。
スタテン島までのフェリーは無料で、夜遅くまで運航している。一番上のデッキに陣取って景色を楽しむ。天気はいいし、風も心地いい。フェリーの途中では自由の女神像も正面から見ることができた。近くでは小さな女の子がはしゃいでいた。僕も内心は、はしゃいでいた。でも自分の年齢とまわりの目を考えて、ぐっとこらえてクールに写真だけ撮る。

20分ほどでスタテン島に到着。フェリーからも見えていた曽野正之さんデザインのモニュメントへ。青い空に白く美しい造形が映える。近くに行くと、亡くなった方々の横顔と名前、職業が並んでいる。一部には、遺族や友人によるものと思われる、亡くなった方の写真や、家族友人からの短いメッセージや花が貼り付けてあった。それを読むとまた涙が出てしまう。大きな歴史の出来事というよりも、個人の歴史・時間として見えてしまう。

今日NYに来てみて、あの出来事に対しての意識として自分の中で変わったのは、象徴的な2棟のビルが倒壊した云々ということよりも、そこに多くの‘個人’の人生があり、それが一瞬にして失われた、ということが以前よりも身近に感じられるようになった。あのビルが倒壊しても、もしそこで失われる命がなかったとしたら、それはそれほどたいしたことではないのではないか、今ではそんなふうにさえ思えてしまう。

しばし、その場に腰をおろし、海とその向こうのマンハッタン島をぼ~っと眺める。その後ふらふら歩いて海の写真など撮っていると、近くの駐車場で働いていると思われる制服を着たオニーチャンに声をかけられる。変な英語だ。たまに日本語もからめてくる。かなり怪しいが、制服着ているからまあ大丈夫だろう、と応対する。

その後いろいろ話す。彼は合間に駐車場のお客さんに応対しながら。
彼はバングラディッシュ出身で名前はユースフ。親日家のようで、日本に留学しようと、母国の大学で日本語のコースをとったりもしていたそうだ。友人や兄弟が実際に日本で勉強しているらしい。いろいろ聞いていると、どうやら母国ではエリートの家のようだ。彼もお金を稼いでから、アメリカでMBAをとろうとしている。今は移民のビザが認められてグリーンカードも持っているらしい。それから、バングラディッシュは同じアジアとして日本の国連常任理事国入りを応援すること、アメリカで働くためのビザの取り方、などを熱く語られる。反応に困ってしまう。とりあえずサンキューと答える。

僕は早くマンハッタンに戻りたかったのだが、なかなか帰してくれない。でもエアコンが効いたボックスのなかで、母国のスパイシーなお菓子などをくれた。さらには、金沢大で勉強している彼の友人の連絡先を持たされた。連絡してほしい、と。なんだか侍が生きていた時代の連絡方法のようだなあ。“○○に会ったら元気でいると伝えてくれ”みたいな。その上、僕のデジカメで自分の写真を撮ってから、現像したものを送ってくれ、とか言う。でもいいやつだしおもしろいから送ってあげよう。今日はいつもより余計に人に優しくしよう、という意識が働いているし。結局2時間くらいしゃべっていたことになった。予定外である。でも、次にNYに来たときは、うちに泊まっていけ、とか言ってくれた。まあ、これはこれでいいかな。旅ってこんなもんだろう。予期せぬことが起こるからおもしろい。

今日はバングラディッシュ人の知り合いが出来てしまった。
(つくり話ではないです。ホントの出来事です。自分でも不思議。)

風が冷たくなるころ、マンハッタン島に戻り、ホテルに向かう。
途中、日本の居酒屋を発見。ここで夕食。
カウンターに座って、大画面でヤンキースの試合を見ながら、焼き鳥、から揚げ、豆腐サラダ、豚キムチなどを食べる。ビールはサッポロ。
長い間こういうの食べてなかったから、欲張ってしまいました。
しかも松井は逆転のホームランを打った!やったね。
気持ちよく帰り、気持ちよく眠る。

by ogawa_audl | 2005-06-19 22:09


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